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コミュニケーションという迷路

私は異文化間コミュニケーションに関わっている者として、そもそもコミュニケーションとは何なのかという素朴で、根本的な問題について考えることがあります。

コミュニケーションに関して、本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏が著書の中で書いていた次のような趣旨の記述が強く印象に残っています。

人間は皆、考え方も価値観も好みも全て違うのだから、人間同士がコミュニケーションをとる中で、お互いの距離を簡単にゼロにできるわけがない。最初は10の距離が離れている者同士が、お互いに一歩ずつでも歩み寄る努力をすることによって、10の距離を8や7へと縮めていくことがコミュニケーションだ。

人間同士のコミュニケーションのポイントを非常にわかりやすく表現した言葉だと思います。

人間は主に言語を使ってコミュニケーションをとっていますが、言葉そのものについて厳密に考えていくと、迷路にでも迷い込んでしまうかのような気がします。というのも、普段私たちが何気なく交わしている会話も、細かく分析していくと、限りなく誤解を生む可能性が高く、完全に正しい相互理解などありえないと思えてくるからです。

例えば、ある人が会話の中で「車」という言葉を発したとき、それを聞いた人が頭に思い浮かべる「車」のイメージと、最初の話者が意図した「車」のイメージとが正しく一致するとは限りません。最初に「車」という言葉を口にした話者は、その瞬間に頭の中に「赤いスポーツカー」を思い浮かべていたかもしれません。ところが、それを聞いた側は、その「車」という言葉から「白い軽自動車」をイメージするかもしれないのです。

同じ「車」という言葉でも、そこから解釈できる具体的なイメージには限りない違いや広がりが生まれる可能性があります。そう考えると、そもそも言葉によるコミュニケーションを通して人間同士がお互いを理解できるなどと考えるのは全く現実離れした空想そのものであり、相互理解などという概念は神話にすぎないと言わざるをえません。

こういう言語学的・記号論的な側面以外を考えてみても、日本という一国の中でも地域によって異なる方言や言い回しがあります。

私はもうずいぶん前に滋賀県彦根市にある彦根城を訪れたことがありますが、そのとき周りから聞こえてくる言葉やそのイントネーションから不思議な感覚に襲われたことを覚えています。関東地方出身で普段関東に住んでいる私にとっては、そこで周囲から聞こえてくる関西の言葉は全くの外国語のように聞こえたのです。

関西の言葉と言っても、厳密に言えば、京都の方言や大阪の方言、兵庫の方言もあり、バリエーションが広いので、単純には言えませんが、そのときに私の耳に聞こえてきた西日本独特のイントネーションやリズム、言葉づかいは、まるで外国にでもいるかのような錯覚を私に引き起こしました。本当に外国語のようにしか思えなかったのです。

その経験を通じて、東日本と西日本は全く異なる文化圏だ、と私は実感しました。完全に外国の文化圏と日本の文化圏の違いを感じたのと同じような感覚だったのです。日本が同質的・均質的な社会だという一般的な言説が神話にしか思えませんでした。

それが異なった文化圏に属する言語間のコミュニケーションを扱う国際的な異文化間コミュニケーションという話になった場合、もう途方もない誤解の可能性を秘めたものになってしまうと思わずにはいられません。相互理解の機会が増えるということは、同時に相互誤解の危険性も増すということであり、こんな文章を書いていると、自分が関わっている異文化間コミュニケーションという分野がどんなに途方もなく、壮大なものなのかを改めて感じさせられます。

人間は、話す言語が違えば、その裏にある文化や歴史が違い、ものの考え方や発想、基本的な価値体系に大きな違いが生まれてきます。以前、『出世ミミズ』(アーサー・ビナード著)の中で、著者の米国の友人であるトムという人物の次のようなエピソードを読んで、笑ってしまうと同時に、異文化間コミュニケーションの秘める深さや複雑さを感じさせられました。(トムは語学欲旺盛で、アムステルダムでオランダ語の集中講義を受けたり、バンコクでタイ語を勉強したり、日本語の勉強も怠ることがなかった。)

トムが日本語能力試験の一級を受験して惜しくも落ちてしまった直後に、アーサー・ビナード氏はその失敗談を聞いたそうです。日本語の読解問題の中に「ランドセル」という言葉が書かれており、トムはその言葉の意味がわからず理解に苦しんだというのです。

「ランドマークやディズニーランドの連想から、まず〈陸〉か〈地〉の何かだろうと思って、でも文中に販売の場面がないからセルはひょっとして〈細胞〉、さもなければ〈ガゼル〉の短縮形? とにかくそのえたいのしれないモノが、小学生とどうやら仲よしみたいで、おんぶまでしてもらって、となると、生き物なら外来語じゃなくて、学名だからカタカナかもしれず、……そんなあてずっぽうで時間がすっかりパー」

日本人にとって、「ランドセル」という言葉には難しい要素は全くありません。小学生が知っている極めて簡単で初歩的な言葉です。ところが、数カ国語を勉強し、外国語の習得に熱心なトムでさえ、この言葉が理解に苦しむ厄介な悩みの対象となってしまったというのです。

この問題には、単に「ランドセル」という言葉を知っているかどうかという表面的なものではなく、その言葉の奥にあるもっと深い文化的な要素が含まれています。つまり、日本には小学生が「ランドセル」というカバンを背中に背負って、その中に筆記用具や教科書といった学習用具一式を入れて学校に通うという習慣がある、という事実を知っているかどうかということです。この習慣について知っていれば、「ランドセル」という言葉は必然的に知ることになります。

自国の文化というものは、私たちが母国で生まれ育っていく過程の中で、自然と身につき、体に沁み込んでいくものです。文化とは透明な衣服のようなものであり、普段はその衣服を身にまとっていることに気づきません。ところが、異文化という風に吹かれたとき、初めてその透明な衣服の存在に気づくのです。

異文化間コミュニケーションについて考えるとき、私は『不実な美女か貞淑な醜女か』(米原万里著)の中で引用されている『ショートパンツと黒紋付と――ある通訳のみた戦後史』(戸田優子著)の次のような記述が特に印象に残っていて、思い出してしまいます。(戸田優子さんは東京生まれの東京育ちで、東京で英語を勉強した後、空襲で家が焼け、着のみ着のままで岩手県に疎開した。)

  間もなく馬鹿でかい兵隊に肩をつままれて着ぶくれた日本人が入って来た。見ればその人の髪は半白。私の顔を見るなり体中でしゃべり出した。
「えっ? なに? あの、すみません、もう少しゆっくりおっしゃってくださいませんか」
  彼は震えていた。彼の顎が動くたびに、彼の茶色い歯が鳴った。彼は繰り返した。だがその言葉は依然として私には聞きとれなかった。
「おりゃ」と、「だども」という接続詞がわかっただけだった。
  左右の米兵は口をそろえて私をせかした。
「なんと言っているのか」
「すみません。彼のいっていることが、少しも解らないのです」
「なんだって? お前、日本人ではないのか。お前が日本人なら、日本人同士、言葉が通じないわけないだろう」
  その通り。だが事実は通じない。私は東京生まれ、東京育ちの戦時疎開学生。地方の言葉がこれほど難解であったとは。
  兵隊は焦り出した。
  そこへ石炭をくべに、ルームボーイが入ってきた。
「ああ、助けて。この人のいうこと、私に通訳して――」
  ルームボーイはニタッと笑った。
「おめはん、わがね(駄目な)、通訳さんだなっす」
  彼は得々として、震えている日本人の言葉を標準語に置き換えてくれた。

国境や言葉の壁を超えて、人々の心に感動をもたらす力を持った音楽や芸術、スポーツの偉大さを感じます。

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

平井和也

Author:平井和也
KH翻訳事務所代表。主に人文科学・社会科学分野の日英・英日翻訳を中心にしており、行政翻訳専攻です。好奇心旺盛な本好きです。異文化間コミュニケーション・サポーター。日本翻訳者協会(JAT)会員。海外ニュースライター。

特に政治、経済、国際情勢、行政、ジャーナリズムといった時事的なテーマが得意です。

主な翻訳実績として、東大や一橋大学などの教授の書いた学術文書の英訳、2006年サッカーW杯ドイツ大会の翻訳プロジェクトや防衛省・法務省などの政府系文書、政府高官のパーティースピーチ文書、国際会議関連文書、シンクタンクの報告書・論考、英字新聞『ジャパン・タイムズ』寄稿記事の和訳などの翻訳経験があります。

趣味:読書、語学。

ブログを読んでいただいて、ご意見・ご感想などございましたら、お気軽に以下のアドレスまでメールをいただければと思います。

curiositykh@world.odn.ne.jp

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