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福岡伸一教授の動的平衡に関する講演

先日5月29日(土)に、青山学院大学相模原キャンパスで行われた分子生物学者・福岡伸一教授(理工学部化学・生命科学科)の「生命と環境を捉えなおす―動的平衡とは何か―」と題する講演に出席してきました。

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相模原キャンパスは2003年に新設されたばかりであり、構内の敷地も相当広く、開放感のある造りという感じでした。講演の開会の挨拶の中で、このキャンパスは陽射しの当たる角度や風の入り口といったことを考慮して、窓の向きや教室の構造を工夫して建設された環境配慮型のコンセプトに基づいているという説明がありました。

現在、生命操作をめぐって遺伝子組み換えクローン技術ES細胞iPS細胞といった様々な議論がある中で、そこに共通した生命観として、生命とは機械仕掛けであり、パーツを組み替え、プログラムを戻し、遺伝子を切り貼りするといった機械論的生命観があるといいます。

端的なたとえ話をすれば、食べ物は人間の身体にとってカロリー源であり、人間はそれを燃焼させて熱エネルギーにし、体温や運動エネルギーに変えています。体内には自動車のエンジンのようなものがあって、ガソリンを注ぎ込むと、それを燃やして運動エネルギーに変え、自動車を走らせるというのと同じようなメカニズムがあるわけです。

ところが、ルドルフ・シェーンハイマー(1898–1941)というドイツ生まれで米国に亡命したユダヤ人科学者は、食べ物というのは単なるカロリー源ではないということ、生命は機械ではなく流れであるということを発見していました。

この発見は、天動説から地動説へのコペルニクス的大転換にも匹敵するくらいの偉大な発見だった、と福岡教授は力説していました。

シェーンハイマーはネズミに食べ物を与えて、その食べ物の分子がネズミの体内に入った後、どこへ行き、どうなるかを追跡する実験を行いました。彼は同位体標識法という方法で元素に目印を付け、その元素を含むアミノ酸を作り、ネズミに3日間食べさせました。

彼は最初、食べ物は体内で燃やされ、何時間か、あるいは何日か後に目印を付けた元素を含む燃えかすが呼吸や糞尿の中に排泄されると予想していました。が、実験の結果はシェーンハイマーの予想を覆すものでした。

目印を付けたアミノ酸は全身に飛び移り、半分以上が脳、筋肉、血管などあらゆる組織や臓器を構成するタンパク質の一部となっていました。つまり、食べ物はネズミの身体の一部となって、体内に留まっていたのです。しかも、数日してもネズミの体重は増えていませんでした。

食べ物は体内に入って、身体の一部となりますが、もともと体内にあった分子は分解され、体外に捨てられたということです。食べ物の分子は身体を一瞬作り、それが分解されてまた流れていくという絶え間ない合成と分解の流れの中にあるということです。

皮膚や髪の毛は、剥落したり抜け落ちたりするので、入れ替わることが実感できますが、硬い骨や歯のようなものも実際、その中身は入れ替わっています。身体の全ての分子は食べ物の分子と絶え間なく入れ替わり、全体として流れているわけです。

「いつもお変わりないですね」というような挨拶がありますが、生物としての人間はこの言葉の対極にあって、分子レベルではお変わりありまくりだ、と福岡教授は冗談を言っていました。

シェーンハイマーは生命が絶え間のない流れの中にあることを明らかにし、その様子を「動的平衡」(dynamic equilibrium)という言葉で表現しました。

しかし、そのすぐ後に出てきたDNAに基づく機械論的生命観が支配的になっていく中で、彼は生物学の教科書にもほとんど出てくることはなく、謳われることのない英雄(unsung hero)として歴史の闇に葬り去られていたのです。

福岡教授はそこに新たに科学のスポットライトを当てたわけです。

この世の中にある全てのものは、秩序ある状態から無秩序の方向へと進んでいきます。どんなに頑丈な家でも、時間の経過とともに古くなっていきます。これを物理学でエントロピー増大の法則と言います。

ところが、生命現象は、動的平衡状態を維持する機能によって、エントロピー増大の法則が秩序を壊してくることに先回りして、自ら自分のことを分解し、作り替えるという自転車操業のようなことを継続して行っており、これは秩序を絶え間なく保つための唯一の手段として編み出されたユニークな方法です。

いわばジグソーパズルのなくなったピースを別のピースがうまく補ってくれるようなイメージで、一つの分子が分解・排出されても、周りの分子がなくなった分子の形を覚えていて、新しく作られた分子がぴったりとその場所にはまるようになっています。(「かたちの相補性」)

ところが、この動的平衡状態を大きく狂わせる事態が起こりました。それは狂牛病の発生でした。

動的平衡には脆い面があり、一度崩れると正常な機能を取り戻すのに長い時間を要します。

以下の説明は、福岡教授の講演内容に加えて、同教授執筆のブックレット『生命と食』に基づいています。

狂牛病の発生は英国の国家的な犯罪であり人災です。

1985年に狂牛病の第一号が英国のケント州で発生しました。

英国の畜産業者たちは、ミルクを使わないで子牛をできるだけ早く飼育するために、牛や豚や羊などの家畜の死体を大鍋で煮て、骨を外して脂を漉し取り、残った肉かすを乾燥させてパウダー状にした肉骨粉というものを作り、それを子牛に飲ませました。(肉骨粉を作る工程はレンダリングと呼ばれ、20世紀初頭から行われていた。)

ところが、その動物性の飼料の中に病原体が混じり込んでいたのです。

羊にはスクレイピー病という奇病があります。この病気にかかると、羊の脳細胞がスポンジ状になってしまい、よろけて立てなくなって死んでしまいます。

肉骨粉を原因と特定するに至るまで3年の調査を要し、1988年になって英国は肉骨粉給餌規制を実施しました。が、この病気は潜伏期間が長く、肉骨粉の使用が禁止されてからも、汚染された飼料が出回っていた時期に食べて狂牛病を発症した牛が1989年から1992年くらいまでは出続けました。1992年、1993年にピークを迎えた後、ようやく減少に転じました。

1994年になり、今度はヒトへの感染が報告されました。(狂牛病のヒト版は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という名前で呼ばれている。)

このヤコブ病で亡くなった患者の脳を顕微鏡で調べてみると、たくさんのスポンジ状の穴が空いていました。神経細胞が集団で死滅し、そのまわりには異常型プリオンタンパク質が沈着しており、その脳は狂牛病で死んだ牛の脳と瓜二つだったのです。

日本が狂牛病の問題に直面するのは、実際に国内で狂牛病が起きてからのことであり、2001年9月に日本にも狂牛病の牛が存在していることがわかるまで、何の対策も立てられていませんでした。その後、2003年になって米国でも狂牛病の発生が確認されました。

このような国際的な広がりが起こっている中で、英国の肉骨粉給餌規制には大きな抜け穴がありました。英国の給餌中止は国内だけのものでした。レンダリング産業はそのまま肉骨粉の製造を続け、英国の国内での肉骨粉の使用を禁止した結果、国内に肉骨粉の在庫が積み上がっていきました。それがどうなったかと言えば、何の規制もない輸出に回されていくことになったのです。

1988年に英国における肉骨粉給餌が規制されたとたん、翌年には輸出量が2倍以上に膨れ上がっていきました。つまり、英国は自国内で狂牛病の原因とわかった肉骨粉を、そのまま他国に売りさばいたのです。危険なものを危険とわかって売る国家的な犯罪が平然と行われていたわけです。

フランスは飼料の汚染に気づき、慌てて英国からの肉骨粉の輸入を禁止しましたが、その肉骨粉は何も知らないアジアや米国に渡っていった可能性が高いと言われています。

日本政府は英国産の肉骨粉が、いつ、どれくらい輸入されていたのかの実態を正確に把握していませんが、英国の輸出統計では、1996年の禁輸までに300トンを超す肉骨粉の輸出が日本向けにあったとされています。

1996年に狂牛病のヒトへの伝染の可能性が英国で明らかにされた時点で、日本の農林水産省や当時の厚生省は何もしませんでした。肉骨粉の使用自粛を書いたA4判の紙一枚の通達を、各都道府県にファックスしただけでした。そこには、禁止措置も強制力も罰則も監視体制もありませんでした。その不作為が、狂牛病の日本への広がりの原因になったのです。

ただ、日本では2001年の狂牛病ショックの後、かなり早い時期に精度の高い安全対策が打ち立てられ、これは世界でも稀に見る厳しい体制だ、と福岡教授は言っています。

対策の柱は、全頭検査特定危険部位の除去、肉骨粉の使用禁止です。

食肉ラインに入ってくる全ての牛を対象にして、解体される前に脳内の異常型プリオンタンパク質の有無を厳しくチェックするというもので、1検体当たり約2000円かかり、日本の場合では年間130万頭の牛が食肉になるので、合計で約26億円の費用がかかることになります。

次に、第一段階の検査を通った全ての牛から脳、眼、扁桃、脊髄、回腸遠位部を取り除くことによってダブルチェックを行います。

さらに、草食動物に動物性の肉を原料とした飼料を与えたことがきっかけで狂牛病は起こったので、日本ではそれを禁止しました。肉骨粉は豚や鶏、羊、魚類の餌にすることも全て禁止されています。

ところが、米国では全頭検査に当たるようなチェックは行われておらず、特定危険部位の除去に関しても、脳と脊髄は米国では30ヶ月齢以上の牛だけにすればよいことになっています。

20ヶ月齢以下の若い牛には現在までのところ狂牛病は見つかっていないという食品安全委員会のデータを基に、日本政府は20ヶ月齢以下の牛には検査を行わなくてよいと定め、米国産牛肉についても20ヶ月齢以下であれば検査なしに輸入してよいとし、2005年12月に部分的に輸入を再開しました。

ところが、実際には21ヶ月齢や23ヶ月齢という若い牛の感染例が見つかっているのです。

2006年1月、成田に着いた米国産牛肉の中に、背骨がそのまま混じっているものが発見され、日本への輸出の際の特定危険部位の除去を約束した日米間の規定に違反が生じ、米国産牛肉の輸入は再度禁止されました。

しかし、2006年8月には輸入が再開され、現在に至っています。

その後も、2008年4月に大手牛丼チェーン店の加工工場で輸入した米国産牛肉に背骨が混ざっているのが発見されました。

日本では、20ヶ月齢以下の若い牛には検査は不要だということになりましたが、検査を実施している各都道府県レベルでは、自分たちのブランドイメージを守るため、また横並び意識から、全ての自治体で全頭検査を行っています。政府もそれを容認し検査費用を出しています。

しかし、政府はこの暫定的な予算措置を2008年7月末で打ち切りました。検査を運営している全自治体は、政府からの補助金が打ち切られても独自予算で全頭検査を続行すると表明しましたが、次年度以降の継続が可能かどうかを疑問視する声もあります。

なお、以上の記述の中で言及したヤコブ病についてですが、この病気にかかった人が自分がヤコブ病にかかっているとは知らずに献血をし、その血液を受けた人がヤコブ病にかかるという輸血による感染例が発生しているそうです。

そのため、日本でも、1980年から1996年の間に一日でも英国とフランスに旅行したことがある人、1997年から2004年の間に通算6ヶ月以上英国に滞在歴のある人は、献血できないことになっています。その本人がヤコブ病にかかっているからではなく、危険をできるだけ減らすことが目的です。

日本の都道府県レベルで独自予算を使ってでも20ヶ月齢以下の若い牛について検査を行っているというのは、食の安全を重視する非常に入念で真剣な姿勢であり、評価されるべきことだと思います。中央政府レベルで米国との間で、もっと厳重な管理体制を構築するための枠組み合意を形成すべきであり、政府レベルでの努力が足りないと思います。

福岡教授は、動的平衡の概念を研究するためにマウスを使った実験を長い時間をかけて行い、決定的な発見に至るまでに20年間かかったそうです。また、マウス一匹を使った実験にかかる研究費用だけでポルシェ1台分を超えるくらいの金額であり、期間も3年以上かかるそうです。

教授はこのように、科学では研究や実験を始めてもすぐに結果が出ることは稀であり、長い時間と費用をかけないと成果を出すことはできないという事情を説明し、政府の事業仕分けによる科学技術予算の削減について簡単に削減されては困る、と冗談ぽく語っていました。

教授は絵画鑑賞が趣味ということで、動的平衡の説明の中で、アナロジーとして絵画の話もしていました。

ロサンゼルスのゲティ美術館収蔵の「ラグーンのハンティング」(ヴィットーレ・カルパッチョ作)とベネチアのコッレール美術館収蔵の「コルティジャーネ」(ヴィットーレ・カルパッチョ作)の二作品に、特に注目していました。

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ラグーンのハンティング

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コルティジャーネ

「コルティジャーネ」に描かれている女性たちは、一見するとどこか悲しげな表情を浮かべています。そのため、最初はこの絵に描かれているのは王侯貴族の娼婦たちであり、彼女たちが自らの境遇を悲しんでいる様子を描いたものだと考えられていたそうです。

ところが、実はこの絵はもともと「ラグーンのハンティング」とつながっていたものであり、夫たちが魚釣りに興じている間に奥方たちが暇を持て余している様子を描いたものだったということが後になってわかりました。

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本来の絵

福岡教授がこの絵画の話から言いたかったことは、人間の生命現象や世界を個別に分けて考えると本質を見失ってしまうものであり、全てが全体の流れの中でつながり合いながらバランスを保っているのだという動的平衡の本質です。

福岡教授は昨年11月に、科学雑誌『Nature』に「免疫: M細胞によるglycoprotein 2を介したFimH+細菌の取り込みにより粘膜免疫応答が始動する」と題する論文を掲載しています。

下記の追記欄に、講演で言及された顕微鏡の開発に関するエピソードを付記しておきます。

オランダのデルフトに生まれたアントニ・ファン・レーウェンフック(1632–1723)という人物が、歴史上初めて顕微鏡を使って微生物の世界を見た人物とされています。

彼は市役所の職員でしたが、微生物の世界に個人的に興味があり、アマチュア生物学者として研究や実験を行っていました。水溜りの虫や自分の歯の間のばい菌といったものを抽出して、自作の顕微鏡でミクロの世界を研究していました。彼は自分の精液まで調べて、精子も顕微鏡で観察し、その存在を生物学的に確認した初めての人物だそうです。ちなみに、彼は自分の精子を見たとき、その正体がわからず、自分は病気なのではないかと思ったというエピソードがあるそうです。

彼の作った顕微鏡は非常に精度が高く、その倍率は現在使われている顕微鏡と同じ300倍くらいの倍率でした。

私は福岡教授の口からデルフトという町の名前が出た瞬間に、この町出身の画家フェルメールを思い浮かべました。

そのすぐ後に、絵画好きの教授は予想通りフェルメールについて話し始めました。

フェルメールとレーウェンフックは同じ年に生まれ、同じデルフトの住人だったという共通点があり、きっと二人は友人同士だったに違いないと思っているという話でした。二人が友人だったことを証明する確固とした証拠はありませんが。

次の二つの絵についてのWikipediaの説明にも同じような内容が書かれています。

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天文学者
本作品は『地理学者』とサイズがほぼ等しく、両者は一対の作品として構想されたとするのが通説である。モデルについては確証はないが、フェルメールと同年の生まれで、同じデルフトの住人であった科学者アントニ・ファン・レーウェンフックではないかと言われている。レーウェンフックは商売や役所勤めのかたわらアマチュア科学者として活躍し、自作の顕微鏡で多くの微生物を発見し、微生物学の父と言われる。フェルメールが43歳で死去した後、レーウェンフックが遺産の管理にあたっていることなどから、二人の間には何らかの交流があったと思われる。


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地理学者
『天文学者』と対をなす作品とされる。フェルメールの作品のうち、男性単独像はこの作品と『天文学者』の二点のみである。モデルは長髪や鼻の形が『天文学者』の男性と似ており、同一人物のように見える。地理学者は日本の綿入はんてんのようなローブを着、手にはコンパス(またはディバイダ)を持っている。

テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

平井和也

Author:平井和也
KH翻訳事務所代表。主に人文科学・社会科学分野の日英・英日翻訳を中心にしており、行政翻訳専攻です。好奇心旺盛な本好きです。異文化間コミュニケーション・サポーター。日本翻訳者協会(JAT)会員。海外ニュースライター。

特に政治、経済、国際情勢、行政、ジャーナリズムといった時事的なテーマが得意です。

主な翻訳実績として、東大や一橋大学などの教授の書いた学術文書の英訳、2006年サッカーW杯ドイツ大会の翻訳プロジェクトや防衛省・法務省などの政府系文書、政府高官のパーティースピーチ文書、国際会議関連文書、シンクタンクの報告書・論考、英字新聞『ジャパン・タイムズ』寄稿記事の和訳などの翻訳経験があります。

趣味:読書、語学。

ブログを読んでいただいて、ご意見・ご感想などございましたら、お気軽に以下のアドレスまでメールをいただければと思います。

curiositykh@world.odn.ne.jp

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