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谷内正太郎さんの講演

先週末6月5日(土)、青山学院大学渋谷キャンパスで行われた現在外務省顧問である谷内正太郎氏(元外務事務次官)の「日本外交の課題-普天間基地問題と日米関係の将来を中心に-」と題する講演を聴いてきました。

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谷内正太郎氏
1944年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1969年、外務省入省。在アメリカ日本大使館参事官、在ロス・アンジェルス日本領事館総領事、外務省条約局長、内閣官房副長官補などを経て2005年外務事務次官、2008年退官。事務次官として3年の任期を務め、「凛とした志の高い外交」を目指し、アジア外交の再構築の他、価値観外交、「自由と繁栄の弧」の基本方針などを策定し実行。2009年1月~9月まで政府代表を務める。現在は外務省顧問を務める傍ら、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学で教鞭を執っている。著書「外交の戦略と志」(産経新聞出版)など。


谷内さんは外交実務を長い間経験してきた人だけに、国益を追及する外交の原則を重視するリアルポリティックスの姿勢が前面に出ていました。

基本的に鳩山前政権の外交・安全保障政策に対して批判的で、この政権下では外交の機能がほとんど働いていなかったと言っていました。

谷内さんが事務次官だったとき、元外務省の情報分析官でありロシア専門家である佐藤優氏が著書の中で、谷内さんは国益を損ねるようなことは決してしない極めて優秀な外務官僚だというようなことを書いていましたが、実際に講演を聴いてみれば、実務に通じた優秀な人だということはよくわかります。

印象的だったのは、官僚と政治家の関係についての谷内さんの考え方でした。

官僚と政治家を対立的な構図の中に位置づけて報道するのがマスコミのよくある報道パターンですが、谷内さんは、こういう構図は現実的ではないと言っていました。

大臣に対して歯向かってやろうだなんて考えている官僚は普通はおらず、そんな人がいたとしたら、人格的におかしい人物なだけだと言っていました。多くの官僚は大臣と協力して業務を進めていこうと考えており、官僚も普通の人間なので、認められたいとか、出世したいとかいった欲もある、ということでした。

官僚は各分野の実務に詳しいプロであり、政治家や大臣は実務のことはあまりよく知らないアマチュアであるが、政治家が指揮を執りながらこのプロとアマが協力し合って良好な連携を図っていくことが大事だ、というのが谷内さんの主張でした。

沖縄の基地問題に関しては、沖縄という土地は地政学的に重要な要衝であり、もし仮に米軍が完全に撤退することがあったとしても、何らかの形で軍事的な施設やオプションを確保しておくことになるだろう、と言っていました。

谷内さんは国益最優先の現実主義外交を掲げている人なので、在日米軍基地の問題は総論賛成、各論反対の典型的な例だが、国益のためには沖縄に限らず、日本のどこかの地域が負担を背負うことはやむを得ないという考え方の持ち主です。

講演の最初に、谷内さんは19世紀英国のパーマストン外相の国益に関する次のような言葉を紹介しました。

英国にとって永遠の同盟国もなければ、永遠の敵対国もない。永遠なのは英国の国益だけである。

欧州の中で長い歴史を持つ英国のしたたかさを感じさせる言葉です。

私はこの言葉を聴いたとき、国際政治・軍事アナリストの小川和久氏が著書『この一冊ですべてがわかる普天間問題』の中で引用している、湾岸戦争当時の米国の国務長官ジェームズ・ベーカー氏の回顧録『シャトル外交 激動の四年』の中の英国に関する次のような一節を思い浮かべました。

今回もまた、イギリスにもっとも手を焼かされた。あれもダメ、これもダメとすべてを値切り倒した挙げ句、ようやくともに戦うとの合意に至った。しかし、今回もまた、もっとも頼りになった同盟国はイギリスであった。

佐藤優さんは、著書『野蛮人のテーブルマナー』の中の国際ジャーナリスト河合洋一郎氏との対談で、英国は米国よりも謀略に長けた国であると指摘し、次のように述べています。

いまのアメリカ人は謀略が本当に下手クソなんだよね。

この点、同じ英語を話しているイギリス人は謀略に長けている。イギリスが[イラクに]2万人増派したいと考えたら、自国の大使館を爆破させるだろうね。戦前の日本がやったように、上海で坊主が殺された、そりゃとんでもない、ということで警察では対応できないから軍隊が出ていく。そんなやり方ですよ。

谷内さんは日米関係の現状について、米国は鳩山前政権に対して期待と不安を抱いていたが、今は不安しかないようだ、と言っていました。

また、民主党のマニフェストには体系的な外交・安全保障政策はほとんど明記されておらず、国益ベースでの考え方や一貫性や継続性を重視する外交の原則からも外れているということでした。

さらに、政と官の関係について、政治主導、官邸主導を基本原則として掲げた民主党政権下では、政務三役(大臣、副大臣、政務官)は各省庁の局長クラス以上には相談せず、課長クラスとのコミュニケーションが中心になっている、と指摘していました。

事務次官会議を廃止し、各大臣がバラバラなことを言っているということでした。

外交面では、民主党政権は2010年1月、改正新テロ対策特別措置法の失効にともない、約8年間に及ぶインド洋での給油活動を終了し、今後は治安強化のための警察官支援など5年間で50億ドル規模(1年10億ドル)のアフガニスタン民生支援に力点を置く考えを強調しています。

これに関して、谷内さんは、日本のパキスタン艦艇への給油活動(昨年は年間24億ドル)は評価されており、パキスタンに対する支援活動というのであれば理解できるが、アフガンへの民生支援は的外れな選択だと言っていました。というのも、アフガニスタンのカルザイ大統領の弟は麻薬王として知られており、そんな国に支援を行うのは国際的にみてもおかしいからだ、と言っていました。
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カルザイ大統領の弟

また、鳩山前首相の言動に関して、「命をかけて」や「職を賭す」といった重大な言葉を簡単に口にするところが問題であり、言葉が軽かったと批判していました。

新しく選出された菅首相は婦人運動家・市川房江女史の市民運動参画や3回の落選経験のある人物であり、鳩山氏よりもずっとしたたかな政治家なのでは、という見立てを示していました。

次に、前ブッシュ政権下の米国の問題点を指摘し、現オバマ政権に対する鳩山前政権の対応及び国際的な政策の問題について述べました。

前ブッシュ政権ではunilateralism(単独行動主義)が著しく、テロ撲滅の名の下にアフガン、イラクで軍事作戦を展開するも泥沼化し、京都議定書、包括的核実験禁止条約(CTBT)国際刑事裁判所(ICC)のいずれに対しても批准、署名を拒否し消極的な姿勢を示しました。

また、自国の国力を超えた海外情勢への関与(Samuel P. Huntington教授が提唱したLippmann Gap)を繰り返し、イラク、アフガン、イラン、中東和平、北朝鮮とあまりにも広範囲に外交の手を広げ過ぎて(overcommitment)限界を超えている、と指摘していました。

特に北朝鮮情勢では、クリストファー・ヒル(Christopher R. Hill)東アジア・太平洋担当国務次官補(現イラク大使)が核開発問題に集中し過ぎた感があるということでした。

オバマ政権に対する鳩山政権の対応に関しては、日本こそunilateralism(単独行動主義)なのではないか、という問題意識を提示していました。1996年の普天間基地移設に関する日米合意とは違う内容を一方的に宣言し、対米関係を混乱させたということでした。

また、温室効果ガスを1990年比で2020年までに25%削減するという非現実的な目標を国連で宣言し、国内手続きも国際的な根回しもしないで行動したことを問題視していました。25%削減という目標は、世界的には達成不可能だというのが広い認識だということでした。

さらに、鳩山前政権では東アジア共同体の創設について、「対米依存からアジア重視」という基本理念を掲げていますが、特に岡田外務大臣が言っている「東アジア共同体に米国は入らない」という表現は問題であり、日米同盟を維持しながらも、アジア重視に舵を切るということの真意を米国側に的確に伝えることができていない、と言っていました。

講演の最後の方で、谷内さんは個人的な考えとして次のようなことを言っていました。

東アジア共同体というからには、枠組みに参画するアジア諸国の間に帰属意識がなければならない。また、アジア各国の多様性は重要な要素であるが、もし共同体が創設された場合、中国がリーダーシップを握ることになるのではないか。

歴史を振り返ると、明治から幕末にかけての日本は国力を増強し、自立への衝動があったが、戦後の日本は、米国の比較的寛容な政策の下で守られてきたことによって甘えが生まれた。

今年4月の核安全保障サミットで、鳩山前首相はオバマ大統領とわずか10分程度の非公式会談を行ったが、これは10分間だけ他の要人たちとの会話を中断し、オバマ大統領と会話を交わしたという程度のものであり、会談などと言えるレベルのものではなかった。オバマ大統領に話せばわかってもらえるという甘えがあったのでは、と言っていました。

また、先日ワシントンでリチャード・ローレス元米国防副次官(Richard Lawless)と会い、話をしたときのことに触れていました。ローレス氏は、前ブッシュ政権で普天間基地移設問題の日米最終合意文書を作成し、キャンプ・シュワブ沿岸部埋め立てによる辺野古V字型滑走路の原案をまとめた人物です。

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リチャード・ローレス元米国防副次官

その際、日米中の正三角形論が話題になりましたが、ローレス氏は、日本は正三角形の一極ではない(“Definitely not Japan.”)と言っていたそうです。敢えて米中以外の一極となりえる候補を挙げるとしたら、それはEUだろうと言っていたそうです。

私はこの話を聴いたとき、ドイツ在住のジャーナリストである熊谷徹氏が某SNSの日記に書いていたことを思い出しました。

熊谷さんは、ヨーロッパに住んで日本の情勢を見ていると、今や日本の世界における存在感が急速に薄れてきていることがよくわかる、と書いていました。

在日米軍基地問題について、谷内さんは「有事駐留システム」という概念に言及していました。これは、有事の際に、ある国が他国を守るために自国の兵士の命をかけるという傭兵システムです。他国の防衛のために軍事行動を起こし、自国の若者の命を捧げるというのはたいへんなことであり、また軍事オペレーションの面でも機動性に欠けるため、このシステムは現実的ではないということでした。

在日米軍のように、他国に自国の軍隊を駐留させて防衛に当たるという「人質システム」は機動性に優れ効率的な軍事オペレーションを展開しやすく、欧州などでは一般的な考え方だと言っていました。

以上が、谷内さんの講演の主な内容です。

谷内さんは、多くの官僚が大臣に対して協力的だと言っていましたが、私は必ずしも全ての官僚がそうだとは限らないと思いますし、官僚の中でも重要なポストに就いている人物がきちんとした見識と良識を持って行動しているかどうかによって、組織文化が大きく左右されるのだと思います。

たとえ多くの官僚が有能でも、重要ポストにある人物が私欲や省益のことばかり考えていて、より広い視点から国益を考えないのであれば、組織は衰退し腐っていくと思います。

また、谷内さんは、実務のプロである官僚とアマチュアである政治家の良好な連携が大事だと言っていましたが、私は政治家が実務に疎いのは問題だと思います。政治家が現場感覚や現場の詳しい業務内容を把握できていなければ、よく言われる官僚のレクチャーによって官僚に都合の良い方向に誘導され、国益を損ねる結果を生むと思います。

そもそも、官僚は各分野の実務に詳しいということ自体を疑ってかかることが重要だと思います。というのも、これはほんの一例にすぎませんが、小川和久さんは前述の著書の中で、政治家や官僚が基本的な軍事知識を持っていないために、ピント外れな議論をすることがあるということを指摘しています。

例えば、中央省庁のOBが普天間の代替施設として45メートル四方の「ヘリポート」という表現を使っていたことがその端的な例だといいます。

飛行場または航空施設を米海軍と海兵隊は「エア・ステーション」、米陸軍は「エア・ベース」と呼んでいます。上記の官僚OBが真顔で語った「45メートル四方のヘリポート」とは、普天間問題ではヘリコプターを1機しか運用することができないことを意味します。

50機レベルの話をしているときに1機しか離発着できないヘリポートの建設というのは、どう考えてもおかしいとわかる、と小川さんは言っています。

小川さんがある防衛官僚に、普天間基地を根拠地としている海兵隊第3海兵遠征軍第1海兵航空団が保有するヘリの機数を尋ねると、「せいぜい100機ぐらいでしょう」と答えたといいますが、実際にはその定数は450機以上だそうです。

また、海兵隊は揚陸艦で敵前上陸するという第二次世界大戦以来のイメージを持っている人も少なくなく、この認識は今はもう時代錯誤だとも言っています。

前述の通り、谷内さんは沖縄の基地問題に関して、沖縄という土地の地政学的な重要性を考えた場合、もし仮に米軍が完全に撤退することがあったとしても、何らかの形で軍事的な施設やオプションを確保しておく可能性があり、国益のためには沖縄に限らず、日本のどこかの地域が基地の負担を背負うことはやむを得ないという考え方を持っています。

在日米軍基地、特に沖縄に集中する基地の問題は、極めて解決が難しい問題であり、ほんの数年でどうにかできるような問題ではありません。

しかし、だからと言って、いつまでも現状のままでいいとも思いません。

私個人は、主権国家である日本、しかも経済的に貧しい発展途上国でもないこの日本という国に、米軍が長期にわたって駐留し、基地の負担を強いられる住民がいるということは、非常に不合理で、理解しがたい事実だと思います。

具体的な期限は別として、最終的には米軍が日本から出て行くことが、日本という国家のあり方として健全な姿だと思っていますし、日本として新しい安全保障体制を構築し、国家として自立すべきだと思います。

沖縄の米軍基地を含めた在日米軍基地問題解決のためのひとつの長期的なビジョンとして、ニューヨーク市立大学の霍見芳浩教授は1996年に出版した『通念破壊』の中で「新拡大日米安保条約」という構想を次のように提示しています。

これは、安保の枠組みを拡大し、日本、米国、韓国、台湾が協調して北朝鮮と中国の経済発展を助けながら、一方で二国のいずれかが核兵器を使用しようとした場合に米国の核の傘で牽制するという考え方である。

在日米軍基地は日韓台の安全保障だけではなく、米国の世界的な安全保障体制維持のために不可欠であり、米国の防衛にも必要であることを明記する。これによって、日本の安保タダ乗り論を明確に否定する。

今沖縄に駐留する米軍の大部分を韓国とハワイに移す。日本には万一の場合の補給基地と武器の貯蔵をするだけにする。

韓国とハワイに移す米軍の維持費の負担は続けてもいいが、在日米軍の一人当たりの経費は半分に減らし、日本に不要な米軍兵士や家族を駐留させないようにするための逆インセンティブにする。

これは、日本が国家としての自立心を示し、米国をはじめとした国々と堂々と交渉していこうという意欲や胆力と、それを実現するための巧みな戦略がなければできることではないと思います。真の意味で国際派でありリベラルと言える霍見教授だからこそ提唱できる構想です。

今回の講演を通じて、谷内さんは基本的に国益を重視し、実務に通じた優秀な外務官僚だという印象を受けました。

佐藤優さんは鈴木宗男議員との対談本である『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』の中で、1999年秋に当時条約局長だった谷内さんがチェチェン問題に関して鈴木氏と対立したときのことについて、次のように述べています。

鈴木さんと外務省幹部の仲介で私が歩き回っているときに、谷内さんは私にこう言いました。「鈴木さんの言うことは、一つの外交論として筋が通っている。それはわかった。しかし、外務省には外務省の立場があるから、その全体を踏まえて決めたい。私は鈴木さんには詫びない。詫びるようなことはしていないからだ。それで鈴木さんとぶつかってしまうならば、それは本望ではないけれども、仕方ないよ」と。私はこの通り鈴木さんに伝えたんですね。そのとき鈴木さんは、「谷内はしっかり者だな」と言った。

要するに、一流の政治家は筋を通す官僚を高く買うわけなんです。谷内さんは鈴木さんが権力をもっているときも過度にすり寄ったり、歯が浮くようなおべんちゃらを言うこともなかった。

(中略)

谷内さんがいい悪いと言いたいのではなくて、谷内正太郎的なものが当たり前であり、外務省に谷内正太郎的な遺伝子が流れているはずだと思うんです。竹内行夫さんとか西田恒夫さんとか丹波實さんとか、ああいう人が外務省の大混乱を招いた後で、谷内さんが事務次官として登場して、外務省の文化の変容が起きているんではないかと思います。

この言葉に対して、鈴木議員は次のように応えています。

谷内正太郎的なもの、谷内正太郎さんのDNA。それはたしかに外務省の救いであり、外務省の希望だと思います。

ちなみに、谷内さんは著書『外交の戦略と志』の中で、鈴木宗男議員と佐藤優さんに関して次のように書いています。

北方領土問題をめぐっては、鈴木宗男衆院議員が「外務省を支配している」といった批判もあったが、私は鈴木氏を異能の政治家だと思っている。多くの国会議員が外交に興味を持たなかった中で、鈴木氏は外交に一生懸命に取り組んだ。その中でもとくに米国ではなくて、ロシアやアフリカとった、ほとんどの政治家が取り組まなかった問題で努力をされた。ただ、中央政界という厳しい世界の中で駆け上がっていくには、いろいろ無理をしなければいけないところもあって、さまざまな批判も出たのではないかと思う。しかし、鈴木氏の考え方と努力が、ときの政治状況と合致すれば大きな力になったと思う。

(中略)

鈴木氏とともに北方領土返還に取り組み、現在は起訴休職外務事務官として著述活動に取り組んでいる佐藤優氏は、情報マンであり、研究者であり、もちろん外交官でもあるという多彩な才能をもっている。一方、それ以上に強烈な政治的な意思をもっていたという感じがする。その意味で佐藤氏も異能の人だ。筆力も優れており、現在の活動は佐藤氏の特性に合っているような気がする。

ただ、私は、谷内さんが外務官僚として非の打ちどころのない存在だと言っているわけではありません。実際、今年6月4日付の産経新聞の記事「密約文書廃棄の可能性 情報公開法施行前に指示か 外務省報告」の中で、2001年の情報公開法施行前、外務省で核艦船の通過・寄港を黙認した日米密約に関する重要文書が廃棄された可能性があることに関して、東郷和彦元外務省条約局長から事務次官時代に密約関連文書を引き継いだ谷内さんは、「東郷氏から密約を含む資料を引き継いだのは確かだが、赤いファイルの記憶はまったくない」と説明し、さらに「内容には目を通さず、すべて関係する課に下ろした」と答えたと報じられています。

以下の追記欄に、『サピオ』2010年4月14日・4月21日合併号掲載のこの密約文書問題に関する佐藤優さんの記事の要点と、小川和久氏が前記の著書の中で提示している普天間問題解決のための極めて具体的な一案について付記しておきます。

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テーマ : 鳩山政権
ジャンル : 政治・経済

福岡伸一教授の動的平衡に関する講演

先日5月29日(土)に、青山学院大学相模原キャンパスで行われた分子生物学者・福岡伸一教授(理工学部化学・生命科学科)の「生命と環境を捉えなおす―動的平衡とは何か―」と題する講演に出席してきました。

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相模原キャンパスは2003年に新設されたばかりであり、構内の敷地も相当広く、開放感のある造りという感じでした。講演の開会の挨拶の中で、このキャンパスは陽射しの当たる角度や風の入り口といったことを考慮して、窓の向きや教室の構造を工夫して建設された環境配慮型のコンセプトに基づいているという説明がありました。

現在、生命操作をめぐって遺伝子組み換えクローン技術ES細胞iPS細胞といった様々な議論がある中で、そこに共通した生命観として、生命とは機械仕掛けであり、パーツを組み替え、プログラムを戻し、遺伝子を切り貼りするといった機械論的生命観があるといいます。

端的なたとえ話をすれば、食べ物は人間の身体にとってカロリー源であり、人間はそれを燃焼させて熱エネルギーにし、体温や運動エネルギーに変えています。体内には自動車のエンジンのようなものがあって、ガソリンを注ぎ込むと、それを燃やして運動エネルギーに変え、自動車を走らせるというのと同じようなメカニズムがあるわけです。

ところが、ルドルフ・シェーンハイマー(1898–1941)というドイツ生まれで米国に亡命したユダヤ人科学者は、食べ物というのは単なるカロリー源ではないということ、生命は機械ではなく流れであるということを発見していました。

この発見は、天動説から地動説へのコペルニクス的大転換にも匹敵するくらいの偉大な発見だった、と福岡教授は力説していました。

シェーンハイマーはネズミに食べ物を与えて、その食べ物の分子がネズミの体内に入った後、どこへ行き、どうなるかを追跡する実験を行いました。彼は同位体標識法という方法で元素に目印を付け、その元素を含むアミノ酸を作り、ネズミに3日間食べさせました。

彼は最初、食べ物は体内で燃やされ、何時間か、あるいは何日か後に目印を付けた元素を含む燃えかすが呼吸や糞尿の中に排泄されると予想していました。が、実験の結果はシェーンハイマーの予想を覆すものでした。

目印を付けたアミノ酸は全身に飛び移り、半分以上が脳、筋肉、血管などあらゆる組織や臓器を構成するタンパク質の一部となっていました。つまり、食べ物はネズミの身体の一部となって、体内に留まっていたのです。しかも、数日してもネズミの体重は増えていませんでした。

食べ物は体内に入って、身体の一部となりますが、もともと体内にあった分子は分解され、体外に捨てられたということです。食べ物の分子は身体を一瞬作り、それが分解されてまた流れていくという絶え間ない合成と分解の流れの中にあるということです。

皮膚や髪の毛は、剥落したり抜け落ちたりするので、入れ替わることが実感できますが、硬い骨や歯のようなものも実際、その中身は入れ替わっています。身体の全ての分子は食べ物の分子と絶え間なく入れ替わり、全体として流れているわけです。

「いつもお変わりないですね」というような挨拶がありますが、生物としての人間はこの言葉の対極にあって、分子レベルではお変わりありまくりだ、と福岡教授は冗談を言っていました。

シェーンハイマーは生命が絶え間のない流れの中にあることを明らかにし、その様子を「動的平衡」(dynamic equilibrium)という言葉で表現しました。

しかし、そのすぐ後に出てきたDNAに基づく機械論的生命観が支配的になっていく中で、彼は生物学の教科書にもほとんど出てくることはなく、謳われることのない英雄(unsung hero)として歴史の闇に葬り去られていたのです。

福岡教授はそこに新たに科学のスポットライトを当てたわけです。

この世の中にある全てのものは、秩序ある状態から無秩序の方向へと進んでいきます。どんなに頑丈な家でも、時間の経過とともに古くなっていきます。これを物理学でエントロピー増大の法則と言います。

ところが、生命現象は、動的平衡状態を維持する機能によって、エントロピー増大の法則が秩序を壊してくることに先回りして、自ら自分のことを分解し、作り替えるという自転車操業のようなことを継続して行っており、これは秩序を絶え間なく保つための唯一の手段として編み出されたユニークな方法です。

いわばジグソーパズルのなくなったピースを別のピースがうまく補ってくれるようなイメージで、一つの分子が分解・排出されても、周りの分子がなくなった分子の形を覚えていて、新しく作られた分子がぴったりとその場所にはまるようになっています。(「かたちの相補性」)

ところが、この動的平衡状態を大きく狂わせる事態が起こりました。それは狂牛病の発生でした。

動的平衡には脆い面があり、一度崩れると正常な機能を取り戻すのに長い時間を要します。

以下の説明は、福岡教授の講演内容に加えて、同教授執筆のブックレット『生命と食』に基づいています。

狂牛病の発生は英国の国家的な犯罪であり人災です。

1985年に狂牛病の第一号が英国のケント州で発生しました。

英国の畜産業者たちは、ミルクを使わないで子牛をできるだけ早く飼育するために、牛や豚や羊などの家畜の死体を大鍋で煮て、骨を外して脂を漉し取り、残った肉かすを乾燥させてパウダー状にした肉骨粉というものを作り、それを子牛に飲ませました。(肉骨粉を作る工程はレンダリングと呼ばれ、20世紀初頭から行われていた。)

ところが、その動物性の飼料の中に病原体が混じり込んでいたのです。

羊にはスクレイピー病という奇病があります。この病気にかかると、羊の脳細胞がスポンジ状になってしまい、よろけて立てなくなって死んでしまいます。

肉骨粉を原因と特定するに至るまで3年の調査を要し、1988年になって英国は肉骨粉給餌規制を実施しました。が、この病気は潜伏期間が長く、肉骨粉の使用が禁止されてからも、汚染された飼料が出回っていた時期に食べて狂牛病を発症した牛が1989年から1992年くらいまでは出続けました。1992年、1993年にピークを迎えた後、ようやく減少に転じました。

1994年になり、今度はヒトへの感染が報告されました。(狂牛病のヒト版は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という名前で呼ばれている。)

このヤコブ病で亡くなった患者の脳を顕微鏡で調べてみると、たくさんのスポンジ状の穴が空いていました。神経細胞が集団で死滅し、そのまわりには異常型プリオンタンパク質が沈着しており、その脳は狂牛病で死んだ牛の脳と瓜二つだったのです。

日本が狂牛病の問題に直面するのは、実際に国内で狂牛病が起きてからのことであり、2001年9月に日本にも狂牛病の牛が存在していることがわかるまで、何の対策も立てられていませんでした。その後、2003年になって米国でも狂牛病の発生が確認されました。

このような国際的な広がりが起こっている中で、英国の肉骨粉給餌規制には大きな抜け穴がありました。英国の給餌中止は国内だけのものでした。レンダリング産業はそのまま肉骨粉の製造を続け、英国の国内での肉骨粉の使用を禁止した結果、国内に肉骨粉の在庫が積み上がっていきました。それがどうなったかと言えば、何の規制もない輸出に回されていくことになったのです。

1988年に英国における肉骨粉給餌が規制されたとたん、翌年には輸出量が2倍以上に膨れ上がっていきました。つまり、英国は自国内で狂牛病の原因とわかった肉骨粉を、そのまま他国に売りさばいたのです。危険なものを危険とわかって売る国家的な犯罪が平然と行われていたわけです。

フランスは飼料の汚染に気づき、慌てて英国からの肉骨粉の輸入を禁止しましたが、その肉骨粉は何も知らないアジアや米国に渡っていった可能性が高いと言われています。

日本政府は英国産の肉骨粉が、いつ、どれくらい輸入されていたのかの実態を正確に把握していませんが、英国の輸出統計では、1996年の禁輸までに300トンを超す肉骨粉の輸出が日本向けにあったとされています。

1996年に狂牛病のヒトへの伝染の可能性が英国で明らかにされた時点で、日本の農林水産省や当時の厚生省は何もしませんでした。肉骨粉の使用自粛を書いたA4判の紙一枚の通達を、各都道府県にファックスしただけでした。そこには、禁止措置も強制力も罰則も監視体制もありませんでした。その不作為が、狂牛病の日本への広がりの原因になったのです。

ただ、日本では2001年の狂牛病ショックの後、かなり早い時期に精度の高い安全対策が打ち立てられ、これは世界でも稀に見る厳しい体制だ、と福岡教授は言っています。

対策の柱は、全頭検査特定危険部位の除去、肉骨粉の使用禁止です。

食肉ラインに入ってくる全ての牛を対象にして、解体される前に脳内の異常型プリオンタンパク質の有無を厳しくチェックするというもので、1検体当たり約2000円かかり、日本の場合では年間130万頭の牛が食肉になるので、合計で約26億円の費用がかかることになります。

次に、第一段階の検査を通った全ての牛から脳、眼、扁桃、脊髄、回腸遠位部を取り除くことによってダブルチェックを行います。

さらに、草食動物に動物性の肉を原料とした飼料を与えたことがきっかけで狂牛病は起こったので、日本ではそれを禁止しました。肉骨粉は豚や鶏、羊、魚類の餌にすることも全て禁止されています。

ところが、米国では全頭検査に当たるようなチェックは行われておらず、特定危険部位の除去に関しても、脳と脊髄は米国では30ヶ月齢以上の牛だけにすればよいことになっています。

20ヶ月齢以下の若い牛には現在までのところ狂牛病は見つかっていないという食品安全委員会のデータを基に、日本政府は20ヶ月齢以下の牛には検査を行わなくてよいと定め、米国産牛肉についても20ヶ月齢以下であれば検査なしに輸入してよいとし、2005年12月に部分的に輸入を再開しました。

ところが、実際には21ヶ月齢や23ヶ月齢という若い牛の感染例が見つかっているのです。

2006年1月、成田に着いた米国産牛肉の中に、背骨がそのまま混じっているものが発見され、日本への輸出の際の特定危険部位の除去を約束した日米間の規定に違反が生じ、米国産牛肉の輸入は再度禁止されました。

しかし、2006年8月には輸入が再開され、現在に至っています。

その後も、2008年4月に大手牛丼チェーン店の加工工場で輸入した米国産牛肉に背骨が混ざっているのが発見されました。

日本では、20ヶ月齢以下の若い牛には検査は不要だということになりましたが、検査を実施している各都道府県レベルでは、自分たちのブランドイメージを守るため、また横並び意識から、全ての自治体で全頭検査を行っています。政府もそれを容認し検査費用を出しています。

しかし、政府はこの暫定的な予算措置を2008年7月末で打ち切りました。検査を運営している全自治体は、政府からの補助金が打ち切られても独自予算で全頭検査を続行すると表明しましたが、次年度以降の継続が可能かどうかを疑問視する声もあります。

なお、以上の記述の中で言及したヤコブ病についてですが、この病気にかかった人が自分がヤコブ病にかかっているとは知らずに献血をし、その血液を受けた人がヤコブ病にかかるという輸血による感染例が発生しているそうです。

そのため、日本でも、1980年から1996年の間に一日でも英国とフランスに旅行したことがある人、1997年から2004年の間に通算6ヶ月以上英国に滞在歴のある人は、献血できないことになっています。その本人がヤコブ病にかかっているからではなく、危険をできるだけ減らすことが目的です。

日本の都道府県レベルで独自予算を使ってでも20ヶ月齢以下の若い牛について検査を行っているというのは、食の安全を重視する非常に入念で真剣な姿勢であり、評価されるべきことだと思います。中央政府レベルで米国との間で、もっと厳重な管理体制を構築するための枠組み合意を形成すべきであり、政府レベルでの努力が足りないと思います。

福岡教授は、動的平衡の概念を研究するためにマウスを使った実験を長い時間をかけて行い、決定的な発見に至るまでに20年間かかったそうです。また、マウス一匹を使った実験にかかる研究費用だけでポルシェ1台分を超えるくらいの金額であり、期間も3年以上かかるそうです。

教授はこのように、科学では研究や実験を始めてもすぐに結果が出ることは稀であり、長い時間と費用をかけないと成果を出すことはできないという事情を説明し、政府の事業仕分けによる科学技術予算の削減について簡単に削減されては困る、と冗談ぽく語っていました。

教授は絵画鑑賞が趣味ということで、動的平衡の説明の中で、アナロジーとして絵画の話もしていました。

ロサンゼルスのゲティ美術館収蔵の「ラグーンのハンティング」(ヴィットーレ・カルパッチョ作)とベネチアのコッレール美術館収蔵の「コルティジャーネ」(ヴィットーレ・カルパッチョ作)の二作品に、特に注目していました。

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ラグーンのハンティング

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コルティジャーネ

「コルティジャーネ」に描かれている女性たちは、一見するとどこか悲しげな表情を浮かべています。そのため、最初はこの絵に描かれているのは王侯貴族の娼婦たちであり、彼女たちが自らの境遇を悲しんでいる様子を描いたものだと考えられていたそうです。

ところが、実はこの絵はもともと「ラグーンのハンティング」とつながっていたものであり、夫たちが魚釣りに興じている間に奥方たちが暇を持て余している様子を描いたものだったということが後になってわかりました。

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本来の絵

福岡教授がこの絵画の話から言いたかったことは、人間の生命現象や世界を個別に分けて考えると本質を見失ってしまうものであり、全てが全体の流れの中でつながり合いながらバランスを保っているのだという動的平衡の本質です。

福岡教授は昨年11月に、科学雑誌『Nature』に「免疫: M細胞によるglycoprotein 2を介したFimH+細菌の取り込みにより粘膜免疫応答が始動する」と題する論文を掲載しています。

下記の追記欄に、講演で言及された顕微鏡の開発に関するエピソードを付記しておきます。

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テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

《世界難民の日》記念シンポジウム

昨日、経営戦略家兼マーケターの友人と一緒に国連大学で開かれた世界難民の日のイベントに参加してきました。

抜群のエンターテイメント性とまとまりのある内容構成で、見事なイベントでした。

プログラムの詳細は、次のようなものでした。

《世界難民の日》記念シンポジウム
2009年6月20日(土)
【日時】2009年6月20日(土) 12:30受付開始 13:00シンポジウム開始
【会場】国連大学ビル3階 ウ・タント国際会議場
【言語】日本語・英語(日英同時通訳付き)
【参加費】無料

記念シンポジウム:当日プログラム
■オープニング
総合司会: 岸守一(UNHCR駐日副代表) / 根本かおる(国連UNHCR協会事務局長)
13:00-13:10 川井郁子(ヴァイオリニスト)によるヴァイオリン演奏およびウガンダ、
タイのミッション報告
13:10-13:15 ヨハン・セルス(UNHCR駐日代表)によるオープニング
13:15-13:25 アントニオ・グテーレス(国連難民高等弁務官)、 緒方貞子(JICA理事長)らによる
ビデオメッセージ
13:25-13:45 スグレ・アブカル・ハッサン(農学博士)によるメッセージ
■1部パネルディスカッション: ビニールシートが舞いあがったとしても(13:45-15:15)
モデレーター : 橋本 笙子 (ADRA Japan)
パネリスト : 森絵都(作家) / 岡本幸江(NHKプロデューサー) / 渡邊良雄(NHKディレクター)
コメンテーター: 志野光子(外務省人権人道課長) / 水野孝昭(朝日新聞論説委員)
■休憩 15:15-15:30 UNHCR難民映画祭-東京プレビュー
■2部 15:30-17:00 プレゼンテーション: 難民と一緒にいる風景
アンジェリーナ・ジョリー(UNHCR親善大使)によるビデオメッセージ
モデレーター : 松田陽子(シンガーソングライター)/ 武村貴世子(DJ)
ディモ・ティン・ウィン(関西学院大学)/ 渋谷ザニー(デザイナー)
《テーマ》 ユニクロのグルジア・ミッション / ガールスカウトのピースパックプロジェクトによるタイ活動報告 / 貴島善子(外務省人道支援室長)および木山啓子(JEN事務局長)による南スーダン / 金井昭雄(富士メガネ会長)のアゼルバイジャン・ミッション / ケニア、ソマリア難民受入れの最前線 私たちにできること ゆずの場合 / 菊川怜(UNHCR駐日事務所スペシャルサポーター)およびUNHCR ユース・SHRET(聖心女子大学学生団体)による日本でもできること
■クロージング
17:00-17:05 当日のビデオクリップを上映
17:15-18:15 清泉女子大学のバリスタによるコーヒー/お茶のサービス (国連大学ビル2階)

会議のポイントを本当に一言で端的に表せば、日本の難民受け入れ態勢は、近年加速度的に向上している状況にあるということです。

紛争や貧困に苦しみ、難民と化してしまった人たちを第三国定住という形で日本に連れてきて、Humanitarian statusという待遇の下に受け入れる機運が、ますます高まっているそうです。

イベントの中で発表したある団体の5つの約束というのが、印象に残りました。

それは次のようなものでした。
1. 知ること
2. 行動すること
3. 続けること
4. 忘れないこと
5. 伝えること

また、UNHCRの難民高等教育事業によって関西学院大学に入学することができたビルマ人(あえてこの名称を使います)のディモさんの発表も感動的でした。ディモさんは現在も軍事政権下で自宅軟禁状態に置かれているアウン・サン・スー・チー女史をビルマ人として尊敬していると言っていました。この言葉を実際にビルマ人の口から聞くと、胸に熱いものがこみ上げてくる思いがしました。ディモさんの説明によると、ミャンマーというのは現地の言葉で「力強い」というような意味合いの言葉だそうです。軍事政権は力を誇示する意味で、この国名を使っているわけです。

パネルディスカッションでは、2006年に国連の難民支援をテーマに扱った『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞した作家の森絵都さんも参加しており、たまたまこの作品を読んだことがあったので、議論の内容にもスムーズに入っていくことができました。ちなみに、この作品は5月30日から全5回でNHK土曜ドラマとして放送されています。

会場には外務省の人権人道課長である志野光子さんも同席されており、実際にスーダンにおける支援状況を査察した経験を語ってくれました。その実感としては、日本のODAはよく批判の対象にされますが、スーダンの現地では効果を上げており、現地の人たちにも評価されているので、軽視するのは間違っているという発表内容でした。これは、率直にとても参考になる意見でした。

さらに、イベント終了後には、2階の広間でフェアトレードコーヒーを飲みながら参加者同士の集いが催され、特に印象的だったディモさんに真っ先に話しかけさせてもらいました。とてもきさくで面白い人柄なので、周囲の人たちからも笑顔が絶えず、楽しいひとときを過ごさせてもらいました。ちなみに、ディモという名前は、民主主義を意味する英語のdemocracyに由来するそうです。

その次に、イベント会場で隣同士の席になっていた女性の外国人にも話しかけてみました。すると、なんとディモさんの妹さんということで、思いがけない偶然でした。その上に、今高校3年生でありながら、UNHCRのユースに参加しており、私の出身母体である青学の英米文学科に入学を希望しているということでした。言葉に興味があるので、英語を本格的に勉強したいということです。ちなみに、現時点ですでに、日本語、ビルマ語、ヒンズー語、ウルドゥー語の4ヶ国語を話せるそうです。人柄も実にしっかりしていて、とても高校生とは思えない立派なたち振る舞いを見せてくれました。性格も謙虚で、容姿端麗で、非の打ちどころのない人といった印象でした。最後に友人と一緒に名刺をわたしました。

ヴァイオリニストの川井郁子さんとタレントの菊川怜さん、キレイでした。

菊川さんは、テレビのブラウン管で見たときの印象とは違って、思っていたよりも小柄な方でした。

とにかく、充実して楽しい一日でした。

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ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

平井和也

Author:平井和也
KH翻訳事務所代表。主に人文科学・社会科学分野の日英・英日翻訳を中心にしており、行政翻訳専攻です。好奇心旺盛な本好きです。異文化間コミュニケーション・サポーター。日本翻訳者協会(JAT)会員。海外ニュースライター。

特に政治、経済、国際情勢、行政、ジャーナリズムといった時事的なテーマが得意です。

主な翻訳実績として、東大や一橋大学などの教授の書いた学術文書の英訳、2006年サッカーW杯ドイツ大会の翻訳プロジェクトや防衛省・法務省などの政府系文書、政府高官のパーティースピーチ文書、国際会議関連文書、シンクタンクの報告書・論考、英字新聞『ジャパン・タイムズ』寄稿記事の和訳などの翻訳経験があります。

趣味:読書、語学。

ブログを読んでいただいて、ご意見・ご感想などございましたら、お気軽に以下のアドレスまでメールをいただければと思います。

curiositykh@world.odn.ne.jp

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